ザ・デストロイヤー 死去で病気だった?伝説の覆面プロレスラーの真相は?

ニュース・事件

ザ・デストロイヤー 死去が注目されています

伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤーさんが7日、亡くなりました。

デストロイヤーさんは1962年にブラッシーを下してWWAヘビー級王座を獲得しました。

63年には日本プロレスに初来日し、力道山と対戦し話題になりました。

伝説のプロレスラーの訃報に、ネットではファンから残念という声がたくさんあがっています。

 

スポンサーリンク

ザ・デストロイヤー 死去で病気だった?伝説の覆面プロレスラーの真相は?

覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤーさんが88歳で亡くなりました。

力道山とのWWAヘビー級王座は平均視聴率64%という、伝説の戦いでした。

その後も日本のプロレスで大活躍し、テレビ番組でも人気でした。

デストロイヤーさんが日本のプロレスを盛り上げて行ったのではないかというくらい、伝説のレスラーだったと思います。

力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木などなど、そうそうたるレスラーと伝説の試合を重ねていたデストロイヤーさん。

たくさんのファンが、その死を悼んでいます。

昭和の日本のプロレスを、すばらしいエンターテイメントにしてくれたレスラーでしたね。

もう一度、あのすごい試合を見てみたいですね。

デストロイヤーさんは、アメリカでも日本でも、たくさんの名試合をのこしています。

見た目は怖かったですが、バラエティ番組ではとてもお茶目な一面を見せてくれて、本当にすごい人でした。

 

 

 

 

ザ・デストロイヤー 死去の報道の詳細

今回の報道の詳細はこちらです。

力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが7日(日本時間8日)、亡くなった。享年88歳。同日に複数の米メディアが報じた。元プロレスラーの息子カート・ベイヤー氏が自身のフェイスブックで報告したもので「父のデストロイヤー、ドクターXことディック・ベイヤーが今日正午すぎに亡くなりました。自宅で子どもたち、妻に囲まれながら平穏に去っていきました」などとつづった。デストロイヤーさんはここ数週間、病院のケアを受けていたという。

米バファロー出身のデストロイヤーさんは1954年に素顔でデビューしていたが、62年に白地に赤の縁取りを付けたマスクを装着し、覆面レスラーの「デストロイヤー」として変身後に大ブレーク。同年にブラッシーを下してWWAヘビー級王座を獲得。63年には日本プロレスに初来日し、力道山と対戦した。特に同年5月24日、力道山とのWWAヘビー級王座は平均視聴率64%をマークした。

以後、ジャイアント馬場のライバルとして大きな注目を集め、またアントニオ猪木とも対戦している。73~79年には日本に在住し、全日本プロレスの所属選手として活躍。馬場やジャンボ鶴田とタッグを組み、ブッチャーやミル・マスカラスと対戦し、人気を博した。そのキャリアは約40年、日米合わせて8000試合以上におよんでいる。

また日本テレビのバラエティー番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」にレギュラーで登場し、和田アキ子徳光和夫アナウンサーとの掛け合いも人気を集めた。93年に現役を引退。たびたび来日し、17年には外国人叙勲者として旭日双光章を受章していた。

出展:https://headlines.yahoo.co.jp

報道の内容を簡単にまとめると

  •  力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤーさんが7日、亡くなった。享年88歳。
  •  元プロレスラーの息子カート・ベイヤー氏が自身のフェイスブックで報告。
  •  デストロイヤーさんは1954年に素顔でデビューしていたが、62年に白地に赤の縁取りを付けたマスクを装着し、覆面レスラーの「デストロイヤー」として変身後に大ブレーク。
  •  同年にブラッシーを下してWWAヘビー級王座を獲得。63年には日本プロレスに初来日し、力道山と対戦した。

のようですね。

 

 

 

 

ザ・デストロイヤー 死去の画像や動画は?

ザ・デストロイヤー 死去の画像や動画を掲載しておきます。

 

日本でプロレスをお茶の間に浸透させてくれたのは、デストロイヤーさんだったのかもしれません。

そしてテレビ番組に出ては、小さな子どもたちに大人気になり、またプロレスへの興味を持たせた人です。

ザ・デストロイヤー 死去にネットの反応は?

ネットの反応を集めてみました。

 

88歳は大往生。
お疲れ様でした。
昭和も遠くなりますね。

噂のチャンネルを見ていた幼児期には
リング上の姿を見た事がなく
面白いレスラーなんだろうなと思っていたら
実はヒールの要素も持った「4の字固め」の代名詞だったと知ったのは高校生くらい
プロレスを知らなくても昭和40年代生まれならデストロイヤーを知らない人は少ないと思う
ご冥福をお祈りいたします

初来日の印象があまりにも強烈だったし
馬場との幾多の熱戦は毎度 楽しみだった。

力が落ちてからは日本組に参戦も,お笑いキャラとしても ,TVでは欠かせない存在感をハッキとは言い過ぎかな?

晩年も日本関係者には決して素顔をさらさなかったとも聞いているが,これで一つの時代は終わったのかな。

昭和のスター。
寂しいが、レスラーの88歳は立派。
ありがとう、デストロイヤー!!

強かった上に、バラエティにも出てマスクマンを
プロレスに興味のない日本のお茶の間にまで浸透させた偉人
ご冥福をお祈りいたします

子供の頃、地方巡業で地元に来たときに、偶然駅でタクシーに乗るところを見かけた事があります。
小学生の僕が、その大きい身体にびっくりして固まり彼を凝視していると、マスクをしていても分かる太陽のような笑顔を向けてくれたのが印象に残っています。

昭和の名外国人レスラーであり、名タレントでもあった。ご冥福を祈ります。

昭和生まれの人なら誰でも知っている、あの“4の字固め”を日本に広めたのは、デストロイヤーさんです。

ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。

昔、地方にプロレス興行が来る時はデストロイヤー&ブッチャー必須だったし、流血モノのポスターがバスの待合所などに貼ってあり、子供だった自分は妙にワクワクしたものだ。
今はそんなポスターも貼れないんだろうが、昭和も遠くなりにけり、だな。

先月の馬場さん追善興行はメッセージありましたね。
最期に伝えることができてよかったと思います。

よく昭和昭和と言いますが、1960〜70年代というのがいわゆる昭和の全盛期だと個人的には思っており、その頃のテレビコンテンツの中にプロレスは燦然と輝いていました。昭和プロレスはプロレスの最高の時期でしたよね。夢もあったし。その頃の大スターでしたからね、デストロイヤーさんは。ファンとして何回も接していますが、ホントに優しくファンを大事にする、いわゆるスターでした。ホントのスターはどっちかで、凄く優しいか超威張ってるか、どっちかでしたが、デストロイヤーさんは優しい方。馬場さんは無愛想だけど優しい。猪木さんは威張ってる、みたいな。デストロイヤーマスク持ってますから大事にします。合掌。

ご冥福をお祈りいたします。88歳だったんですね。先日、馬場の追善興行にデストロイヤーの姿が見えないなぁとは思っていました。1963年の初来日のことは覚えています。多分テレビで観たんだと思います。クラスで四の字固めが流行ったのを覚えている。力道山、馬場、猪木などなど名勝負、今も脳裏に焼き付いています。彼が日本のプロレスに果たした役割は大きいと思います。改めて合掌。

 

 

 

病気にならない体のつくり方と強い体になるよう体を鍛えるとは違うようだ。体を鍛えたところで病気には勝てないことが今まで証明されている。病気にならない体のつくり方を教えてくれ!!!
ご冥福を祈ります。

4の字固め真似した。
マスク越しに見える青い目が優しく見えてね…。昭和の灯りが又1つ消えました。こういう時だけ時間が確実に進んでいると実感させられます。ご冥福をお祈り致します。

外国人ヒールが加わってこそ、プロレスの面白さが上がった。
観客のこともよく判った上で、興業を成功させていたと思う。
新聞のテレビ番組表に名前が載っていると、ワクワクしたな。

プロレスラーの頃の試合は見たことがなくて、むしろタレントの頃のイメージが強かったけど、リングでの死闘は伝説的なんだろうと思う。88歳はレスラーとしては長寿だったのではないかと思う。お疲れさまでした。ゆっくり休んでください。

いずれ来るとは思っていたが、とうとうこの日が来てしまった
誰もが知っている、と言っても過言ではない名レスラーでした
ご冥福をお祈りいたします

それにしても、相撲にせよレスラーにせよ
お茶の間で親しまれる人というのを見かけなくなった
タコツボ化というか、その世界に閉じこもってばかりで
素人との架け橋になってくれるような存在が今こそ必要だと思うのだが

15年ほど前、東京の麻布十番祭りの路路に小さなテーブルを出し、サイン入りマスクと自伝を販売してらっしゃったのを見つけて、人混みを掻き分けて並び、握手してもらいました。とてもたくましく暖かい手と、マスクを渡してくれたときの満面の笑顔が忘れられません。最強外国人マスクマン、必殺のフィギュアフォーレッグロック、どうか安らかにお眠り下さい。

まさにレジェンドレスラーですね。生前もこれまでたくさんの他のレスラーの葬儀に行ったりして、仲間を大事にしてたんだと思う。また、引退後も決してマスクを脱がなかったことも、ブレない姿勢が素敵でした。

バラエティ番組にレギュラー的に出演したプロレスラーの先駆けとなったひとでしたね。バラエティでのコミカルさ、リング上での白い悪魔と呼ばれた活躍する姿、どちらも素敵でした。
安らかにお休みください。

中学校のころ本当の田舎に住んでいたとき全日本プロレスがきたことがあった、田舎で外人が普段町で見る事が希少な時である。スーパーマーケットに頭が後退した外国人が片言の日本語でビールをかって「アリガトネ!」と言ったのを覚えていて夕方プロレスを見に父親と言った時、その日シングルで戦っていたデストロイヤーとロッキー羽田のシングルで得意技の4の字固めで勝利して、地元の見に来ていた年寄り達は大喜びで彼に声援を送っていた。それに応えて彼は言った
「アリガトネ!」これを聞いてあの人がデストロイヤー!と驚いたモノだ。
彼の訃報を聞いてそれが浮かんだ、もう羽田さんもデストロイヤーもいないんだよなぁそれこそ「アリガトネ!」と今俺が言うべきなんだろうな。

実は力道山の最後のシングルマッチの対戦相手はデストロイヤー氏でした。4の字固めが外れなくなり引き分けになった伝説の試合は視聴率64%を記録しプロレス中継のみならず日本のテレビの歴代視聴率4位を記録しました。力道山の死後も弟子のジャイアント馬場の好敵手にもなり、日本陣営に加わった時は日本のバラエティ番組のレギュラーにもなり日本のお茶の間のファンを長く楽しませてくれました。そして引退後も少年アマレスの指導で日米スポーツ交流に大いに貢献していました。ここまで長きに渡り日本のマットのみならず日本社会に貢献していた外国人レスラーは他にいないでしょう。今頃、天国で力道山、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田と再会している頃でしょうか。

May God bless you

引退したら、ホットドッグ屋をやりたいって言っていたみたいです。
多くの人から親しまれるレスラーでした。
力道山との死闘をかなり後になってから知って
「この人、いくつなんだ?」って思った事がありました。

日本を離れる際の馬場さんとの記念的なシングルマッチで
馬場さんの足がロープにギリギリかからなくて
デストロイヤーが馬場さんからピンフォールを取った試合がありました。当時、言葉は知らなかったんですが「忖度」された試合でした。

平成になって何回か来日されて会場で良いパフォーマンスを
見せて下さいました。

ご冥福をお祈りします。

本当にお疲れ様でした。あの世のオールスタープロレスがどんどん豪華になっていきますね。

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

ザ・デストロイヤー 死去で病気だった?伝説の覆面プロレスラーの真相は?のまとめ

覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤーさんが88歳で亡くなったということでした。

日本のプロレスのために尽力してくれたデストロイヤーさんに、感謝の声が相次いでいます。

あの時代のプロレスラーの人たちが何人もすでにお亡くなりになっていて、時代の流れを感じますね。

最近は病院のケアを受けていたということで、何か病気だったのでしょうね。

日本からも、ご冥福をお祈りいたしたいと思います。

 

 

 

 

コメントをどうぞ